俳優 板橋駿谷インタビュー[漫画ダブル 特別企画]

第23回文化庁メディア芸術祭の漫画部門優秀賞受賞が決定した『ダブル』。天才役者・宝田多家良とその代役・鴨島友仁の物語は、テレビドラマから新作映画の撮影現場へと舞台を移し、ますます加速しています。

そこで特別企画として、劇団ロロに所属し、昨年のNHK連続テレビ小説『なつぞら』で番長こと門倉努役として脚光を浴びた役者・板橋駿谷(いたばし・しゅんや)さんと、マネージャー・佐々木さんのお2人に、野田先生本人が取材を敢行しました。

多家良と同じく小劇団から映像の世界に飛び込んだ板橋さん。実は『ダブル』担当編集とは昔から親交があり、知る人ぞ知るエピソードなども飛び出した今回の取材。意外なことに板橋さんから野田先生への逆インタビューから話がはじまりました。[編集部]

取材 / 野田彩子 構成 / 岩根彰子


役作りのため、自分で自分にインタビュー

板橋:前回の津田寛治さんへのインタビュー記事、読みました! ちょうど先日、津田さんと共演していた NHKのドラマ『ハムラアキラ〜世界で最も不運な探偵〜』がオールアップして、その後、津田さんと僕とお互いのマネージャーさんと4人でお茶する時間があったんですよ。そこで津田さんと『ダブル』の話になって「あれすごく面白いよね」「よく描けてますよねえ」って。

野田:ああ、よかった!

板橋:そこで話題になったのが、描くにあたって野田さんがどれくらい取材をしたんだろうね、っていうこと。たとえば役を作って行く過程とかって、いろいろな役者さんに話を聞かれたりしたんですか?

野田:役者さんに取材ができる機会はなかなかないので、インタビュー記事や本を読むほうに寄ってしまっていますね。

板橋:たとえば友仁が脚本を読んで、この役の人物を「どんな人間だと思う?」って聞くと多家良が、子どもの頃家の近くに何があって、学校でこんなことがあって、みたいに答えていく。そんな風に2人で役を作っていくじゃないですか。もちろん2人で考えてるんだけど、天才って言われる多家良の方からどんどん言葉が出てくる。脚本を聞いただけで人物像がばーっと出てくる感じが、ほんと天才ならではの役の構築の仕方だなって思うんです。

野田:たとえば『ガラスの仮面』なんかがそうですが、漫画で演劇ものをやるときって役作りの部分、俳優が役を掴むまでっていうのが一番重要な見せ場になってくるんですよね。稽古シーンとか、主人公が試行錯誤してキャラクターを掴んで行く作業みたいな部分が。『ダブル』の場合、そこを一瞬で見せちゃってるんです。

板橋:いや、でもそれが逆に多家良の天才感を際立たせてると思います。俺自身も役作りのとき、インタビューされてるつもりで、その役になって受け答えするってことをよくやるんですよ。そうしないと行間が埋まらないというか。その人物がここにたどり着くまでに何があったんだろうって考えるとき、一番わかりやすいのが「誰かにインタビューをされてる」って想定して、それに答えていくやり方なんですよね。そんな風に、その人の過去と未来、主に過去を埋めていく。そうやって役を作るタイプの人間なんで、ちょっと俺の作り方と似てるなーと思ったんです。多家良と友仁のやりとりを、俺が1人でやってるという感じ。だから、誰に取材したんだろうと思って(笑)。

野田:漫画家も、キャラクターを作るときにその人物のバックボーンを考えたりする作業が必要になってくるので、そういう面で俳優さんの役作りと漫画家の仕事は、割と近いのかもしれません。
ただ、1人で全部描くことができる漫画っていう表現は、多分、物作りのなかでもかなり「自分の考えてることをきっちり抑制を効かせて出す」ことに向いてるジャンルだと思うんです。ただ、やっぱりそれだと「1人で作ったもの」になってしまう。映画や舞台って、基本的に1人では作れないものじゃないですか。だから、人と関わり合いながら物作りをするっていう感覚が、1人で漫画を描いてるとなかなか分からなくなっちゃうんです。

板橋:そうか、それはそれでめちゃキツいっすよね。俺、1人、やだもん(笑)

野田:逆に言うと私は1人で漫画を描いていられるタイプだということで、たとえば自分が劇団に所属していたらうまく人とやって行けるかなあっていうことの方が不安ですね。劇団に居る人って、癖はあっても根本的には他人と共同作業をやって行ける人だと思うんですよ。そうじゃない人って、多分居なくなっちゃうんじゃないですか?

板橋:そうですね。居なくなっちゃうか、ものすごい派手なアングラ演劇をやるようなところに流れ着くか、あるいはとにかくいろんな人から文句言われながらもやり続けてるか。役者はみんなやっぱり我が強いから、結局は喧嘩しちゃうんですけど。喧嘩といっても作品についての言い争いですけどね、こっちの方が面白くない? みたいな。それでも人間関係としてはなんとかやってます。

野田:私からすると喧嘩できるっていうことが、そもそもすごい話なんです。

「調子にのった感じでお願いします」という無茶振りに答える「リクエストされたらやる男」

原点は3歳のときのコロッケさんのモノマネだった

野田:すっかり逆インタビューから始まってしまいましたが(笑)、今度はこちらから。まず、演劇を始めたきっかけをお伺いしてもいいですか。

板橋:小学校4年生のときに授業で本の朗読があったんですけど、朗読する奴らがあまりにもへたくそすぎて腹立って(笑)。うちは共働きで、放課後はおばあちゃん家で過ごしてたので、帰ってからおばあちゃんに全部の文章に読み仮名をふってもらって、ここはこういう意味だよって教えてもらったんです。で、そういう意味だったらこういう風に読もう、とかいろいろ考えて授業で朗読してみたら、先生が信じられないくらい褒めてくれたんです。「私は20年近く教師生活やってるけど、こんなに巧く朗読する子はみたことない」って(笑)。俺としては本をうまく読めるだけでこんな褒められるんだ、という驚きがあって、授業の後、先生に「本を読むことでお金になる仕事って何かありますか?」って聞いたんです。

野田:それはすごい!

板橋:そうしたら先生が「そうねえ、声優かなあ」と。そこでまず、将来の夢は声優に決めた。その後、中学からは福島を出て埼玉の全寮制の学校に入ったんですが、そこは進学校だったので高1になると進路について厳しく聞かれるようになるんです。そこで自分がやりたいこととか、好きだったことってなんだろうって記憶を遡ってみたら、思い出したのが3歳のころ。実家が建設会社だったので、夜になるとじいちゃんのところに下請けの人たちが集まって毎晩、酒盛りをしてたんですけど、そこで前日にテレビで見たコロッケさんのモノマネをしてみたら、これまた信じられないくらいウケたんですよ。3歳児のモノマネだから全然似てるはずはないんだけど、何回やってもおもしろいおもしろいって喜んでくれて。それを思い出して、「あ、俺は人を喜ばせる仕事がしたいんだなあ」と思ったんです。それが今でも自分の原点なんですよ。そこから、そういえば10歳の時、朗読を褒められて声優になろうと思ってたなあ、でも俺、目立ちたがりなのに声優だと顔は出ないしなあ、なんていろいろ考えていたら、いきなり「だったら役者だ!」と雷が落ちてきた(笑)。

野田:それからずっと役者を目指して?

板橋:当時、空手をやっていたので、役者は大学に入ってからやればいいやと思って、高校時代は空手だけやってました。さらに、その頃はまだ映像の方でやりたいと思ってましたね。舞台はかっこ悪い、ダサい、みたいなイメージが強くて。でも高校2年のときに友人のお母さんから「役者になりたいなら、この劇団見にいきな」と言われて行ったのが2001年の劇団カクスコの解散公演だったんです。汚い工場のセットでおっさん6人がわちゃわちゃしたり歌ったりしているだけなのに、信じられないくらい面白かった。それが、舞台ってこんな面白いんだ、だったら舞台やってもいいなと思った最初でした。その後、日芸(日本大学芸術学部)の演劇学科に受かって、それ以来ずーっと。未だに舞台もやり続けているという感じです。

(板橋駿谷インタビュー(2/2)「34歳で朝ドラ出演、そしてブレイク」に続く)